- この記事は宗教をトピックとしますが、特定の宗教や宗教全般を蔑んだり、宗教間で優劣をつけたりするものではありません。 筆者はあらゆる宗教およびその信者をリスペクトすると同時に、日本国憲法第 20 条に則り信教の自由を主張します。
- 本記事は「完全教祖マニュアル」の内容を含みます。
はじめに
「完全教祖マニュアル」という釣りのような題名の本を見つけましたが、セールで 150 円ぐらいだったこと、および教祖になって不労所得を得たいという不純な考えがあったことから読んでみることにしました。 初めは半分ネタとして読み進めていましたが、後半になるにつれてネタだと確信しました。 しかし、そのネタの背景には人間の本質的深層心理が垣間見え、自然科学の発達した現代だからこそ何か生きるヒントになるのではないかと思いました。 そして何より消費税 10%になって生活が苦しい現代において、不労所得を得ることがどれだけ心にゆとりを与え、あなたをハッピーにしてくれることか...
本書のあらすじ
本書は以下のような章構成です。
- はじめに
- 序章 君も教祖になろう!
- 第一部 思想編
- 第一章 教義を作ろう
- 第二章 大衆に迎合しよう
- 第三章 信者を保持しよう
- 第四章 教義を進化させよう
- 第二部 実践編
- 第五章 布教しよう
- 第六章 困難に打ち克とう
- 第七章 甘い汁を吸おう
- 第八章 後世に名を残そう
- 「感謝の手紙」
- あとがき
本書の素晴らしいところはこの章構成を見ただけで教祖になるための道のりがなんとなくかつ、論理的に想像できるところにあるのではないかと考えます。 即ち、「新興宗教の教祖」という日本語の単語の中でトップ怪しく聞こえるランキングベスト 3 に入るであろう 2 つの単語の組み合わせである地位を、怪しくなく聞こえるように宗教の目的を説明した上で、その地位に上り詰めるための合理的で最短ルートを示してくれます。 また、各章の終わりにはチェックボックスがあり、その章の目的を達成するための具体的行動のチェックをすることができます。 なかなか実用的ですね。 なのでもし少しでも「教祖になりたい!」と思っている方がいらしたらこの本をお勧めします。
宗教の本質とは?
...というのが本書の表向きのアピールポイントですが、私が本書について面白いと思うのは宗教を構成的アプローチで解剖しているところではないかと思います。 そして、「教祖的考え」は胡散臭い無関係な事柄ではなく、大衆主義やフェイクニュースといった現代の社会現象をなんとなく理解する手がかりとなるのではないでしょうか?
構成的アプローチとは
構成的アプローチとは意訳すると「物事を理解するために、実際にそのモノを作ってみよう」という手法です。 一般的に自然科学の分野では
- 仮説
- 観察
- 解析、仮説の検証
という順で研究が進むと思います。 一方、構成的アプローチでは
- 仮説
- 作ってみる
- 観察
- 解析、仮説の検証
という順です。 ポイントは「作る」ではなく、「作ってみる」というところです。 完全に理解できていない、完全に複製できないものなので見様見真似でまずは作ってみます。 そして、作ってみたものと研究の対象を比較することで「ここは合っている」とか「ここは違う」とかが分かる訳です。 研究の対象は複雑で基本要素に分割が難しいかもしれませんが、自分で作ったものはそれができます。 すなわち、より基礎要素レベルでその研究の対象を記述できるわけです。 プログラミングの勉強でよく「まずは書いてみよう」というのはこのような部分も関係していると思います。 いくらプログラミングの文法や仕組みを理解しても実際に書けるとは限りませんからね。
本記事では研究手法の一つとして構成的アプローチを説明しましたが、似たような言葉で教育の分野では「構成主義 (Constructivism)」としてアクティブラーニングを支える基礎理論となっているようです。
教祖の仕事
話が逸れました。 即ち本書では宗教の創始者、教祖の仕事内容を理解することで宗教も理解しよう、という裏テーマが潜んでいるように思います。 実際、この本の著者はあくまで教祖になりたい人向けに執筆していますが、本書中あとがきにも以下のように記しています。
なお、全体から見れば圧倒的少数派とは思いますが、教祖になるつもりなどなく、本書をただ知的好奇心から手に取った方もそれなりに得るところのある本だと思っています。(架神恭介、辰巳一世「完全教祖マニュアル」(2016) あとがき)
そして不労所得をせしめようという下心を前面に打ち出した宗教でも、それを達成するために宗教を運営するとなると必然的に教祖の仕事内容は「信者をハッピーにすること」になります。 さらに信者をハッピーにすることによって教祖自らもハッピーとなるのです。 考えてみれば社会的動物である人間であれば、自分が原因で他の人がハッピーになってくれたら嬉しいですよね。 本書はそのための方法論を既存の宗教の歴史から紐解いていきますので、その詳細は割愛します。
新興宗教はなぜ胡散臭いのか?
教祖もハッピーになって信者もハッピーになったら win-win ですね。 悪いことないです。 でもなぜか新興宗教に対して胡散臭いもの、危険な物という印象があるのではないでしょうか? なぜでしょうか?
反社会性
宗教の本質がハッピーになることであれば、裏を返せば現時点でハッピーでない人がいる、ということですね。 多くの場合ハッピーでない理由として社会的弱者であることや、政治への怒り、社会に対して不満があると言うことです。 新興宗教はこのようなハッピーでない人の現在の社会への不満を解決するところに発生するのです。 そして社会に不満があると言うことはその行動は必然的に反社会的なものになっていきます。 本書でもキリスト教を例に以下のように説明しています。
イエスの反社会性は只事ではありません。(中略)当時の感覚でいえばとんでもないアウトローで、もちろん社会の敵なので捕らわれて死刑にされます。(中略)しかし、イエスはこれほど反社会的だったからこそ、今の彼の名声があるとも言えるのです。(架神恭介、辰巳一世「完全教祖マニュアル」(2016) 第一章)
共通前提からの論理的思考
そして彼らは反社会的な信仰を圧倒的な自信を持って主張するのも胡散臭さを感じる原因の一つではないでしょうか? これは彼らが決して演技をしているのではなく、心の底から正しい、合理的だと思っているからです。 異なるのは前提だけです。 彼らの主張はある前提から合理的に理論立てたもので、その理論は極めて客観的なものが多いです。 したがって本人は確信を持ってその主張を通せるわけです。
「その前提とやらが間違っているんだ!」という人もいるでしょう。 しかし、自分が前提としていることはあまりにも当たり前すぎて、その前提を支える根拠は意外と明記できないことが多いです。 数学で公理がないと論を展開できないのと同じですね。 そして数学の公理と同様、それが自明の理であるとは限らないのです。
Wikipediaでは以下の通り説明されています。
公理(こうり、英: axiom)は、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。(中略)公理とは他の結果を導きだすための議論の前提となるべき論理的に定式化された(形式的な)言明であるにすぎず、真実であることが明らかな自明の理が採用されるとは限らない。(Wikipedia「公理」)
新興宗教の非社会性、共通前提からの論理的思考という二点を考えれば、エセ科学やフェイクニュースといった一歩身を引いた人から見たら明らかに胡散臭いものを自信満々に主張する人々の心理も少しは想像できるのではないでしょうか?
教祖的考え方をマスターする利点
上で述べた項目以外にも、教祖的考え方の中には以下のような大衆の心を掴む様々なテクニックが紹介されています。 興味のある方は是非ご一読を! そして野望に満ち溢れた方は是非教祖への道を考えてみてください!